少し自己嫌悪に陥っているのですが、書いておかなければならないことだと思うので、告白しておこうと思います。
数日前に、NHKが8月15日の終戦記念日に企画している番組、「日本のこれから〜憲法9条〜」の事前アンケートにWeb上で答えたところ、
40人の一般市民ゲストの一人としての生番組の出演依頼を受けました。しかし、私は断わってしまいました。
理由は、「自己保身」を最優先したからです。世論を2分するような「憲法9条」の問題において、NHKという最大のメディアで発言することの反響を
私は恐れたのです。(どんな発言も番組の構成次第で異なる印象を与える可能性や、生放送ゆえのどんな展開になるかわからず怖かったのです)
私が発言することで、場合によっては私の両親や親類・知人に、何らかの迷惑を与えるなどして、自分の周囲の環境が壊れるのを恐れたのです。
とはいえこのために、私がこのサイトで書いてきた、与党議員の自己保身ばかりの姿勢に対する批判の根本を私は失ってしまったかもしれません。
公的電波を用いて権力者を批判し、なにがしかの自分なりの信念を表明するチャンスを、(自己保身のために)自ら放棄したことは、
(今後の日本の行方次第では)一生後悔するかもしれません。もし自分にもっと自立して生きる力があったならば、
公の電波を用いて自分の主義主張をハッキリ述べることができただろうというような虚しさが残っています。まったく情けないことです。
テレビに露出して意見を述べる勇気のなかった私ですが、今の私にできる範囲として、私のアンケートの回答を開示しておきます。
わざわざ私の最寄りの駅まで、面会に来てくださった番組の制作の方がおっしゃってしましたが、「9条改正」などのアンケートを取ると、
とにかく右か左の両極端の人からのアンケートが圧倒的に多くなるそうです。
そこで、中間地帯の発言を探すと、(本来一番多いはずの)その意見層の人たちのアンケートは無記名のものが多いのだそうです。
(私の意見は、その中間層に位置するらしく、その位置からの発言を求められました。)
私も、テレビなどでは極端な意見のほうが意思が強いように受け取られやすく、中立地帯の意見は優柔不断に感じられる、ように思います。
主義主張がわかりやすくてハッキリしているほうが、スマートに映るような気がするのです。
原理主義ではない、歴史の教訓と、世界の現状を鑑みてケースバイケース、というような意見が、実は一番生活実感に根付いた考えなのでは
ないかと思うのですが、それを短時間のテレビ番組で理解してもらえることはないような気がしてなりません。
(このことが、いまの政局や総理大臣選びなどにも関連しているように思えました。)
これらのことは、番組のディレクター方も、よく認識していらっしゃいました。(私は逃げ出してしまいましたが、)
あの方が作る番組なら、うまく多くの意見を反映したものになると思います。期待しています。